吉増剛造『詩とは何か』
非常に意味深長な本であったけれども、詩とは「プリミティブな根源から生まれ出て立ちあがろうとする過程のこと」と要約することができるのかもしれない。
本書を読みながら詩について自分なりに考えた日々はとても有意義だったし、一度読んだだけで内容を解することはできないので、今後幾度となく手にすることになる本なのだと思う。間違いなく今年のベスト本に入る。
詳細についてはこちらの検索結果の記事に詳しく書いてきたので、重複は避けておきたい。
ただこの本を読んで、わからないなりにも自分自身の言葉で何とか咀嚼しようとした日々は、この困難な上半期にあって最もかけがえのない日々だったことを書いておきたい。
水原紫苑『如何なる花束にも無き花を』
春日井健に師事したということもあり、また現代の耽美的な作風の第一人者としての歌人ということもあり、塚本邦雄的世界をイメージしていたのだけど、敗戦やそれにともなう親類の死のやるせなさと嘆き、現代の政治や天皇に向けるまなざしの厳しさ、それから愛犬さくらへの愛惜の情など、切実な悲しみが掘り下げられて歌われているところが良かった。
また洋の東西を問わず神話的世界観が構築されており、特にイザナミ・玄牝といった大地母神を謳う歌は圧巻の一言に尽きる。
シャーマニックな一面も覗かせつつ、歌人は「夏草の思ひしなえてあゆむ身を高志へ運ばむ歌のつばさよ」と短歌へその悲しみを昇華させるように歌い上げる。
これまで多少は短歌を読んできたつもりだったけれども、これほどまでに切実で、そして芸術として見事に結実した歌集にはついぞ出会ったことがない。
歌会仲間のまさやまさんと、共通の友人である主人と三人で行った読書会テキストとして選んで読んだ。
その圧倒的にして切実な動機から端を発した覚悟のほどを嫌というほどひしひしと感じて、これは並大抵の覚悟では文語短歌を詠めないなと感じた。
彼女は万葉集以来の伝統を自身の短歌を以て打ち壊そうとするだけの動機があり、さらにその並々ならぬ力量がある。おそらく現代歌人の中でも当代随一の歌人と云っていいのだろう。
それに比べて文語でうわべだけの言葉遊びをすれば耽美的な短歌が詠めると思っていた過去の私がいかに浅はかだったことか。まざまざと思い知らされる思いがした。
この一年読んできた歌集の中でも、もっとも練度の高い、そして水晶の結晶のように研ぎ澄まされた一冊だと感じた。
おかげさまで会は盛会となり、ここ数年で行った読書会で最も充実したひとときになったので、こうして記録に残しておいて良かったなと思う。
山中智恵子『玲瓏之記』
記紀万葉から昭和の前衛短歌まで、時空を超えて編まれた短歌が連なる歌集。古典調の歌の世界は私が表現したいものと近しくて、古典文学や幻想文学を読んでいるかのような心地で読み終えた。
両性具有やスサノヲ、稚児をはじめとした男性崇拝、少年愛の歌が並び、また自らの短歌を虚から生じるものとする強い自覚があって、虚実のあわい、歴史の時空の狭間から生まれた歌集だと云える。
そこには作者の覚悟の程が窺えて、生半可な歌ぶりではないとわかる。
自分自身、このままニューウェーブ寄りの歌風を続けていていいものか自問するけれど、まだ答えが出ない。ただ少なくともこの歌集は、自分の理想とするところに限りなく近かったということを書き留めておく。
マイケル・ビダード『エミリー』
エミリー・ディキンソンをテーマに扱った絵本ということで、幼少期から好きだったのだけど、エミリーにシンパシーを感じる日々が続いているので手に取った。
“ママがピアノをひいているのをきいてごらん。おなじ曲を、なんどもなんども練習しているうちに、あるとき、ふしぎなことがおこって、その曲がいきもののように呼吸しはじめる。きいている人はぞくぞくっとする。口ではうまく説明できない、ふしぎななぞだ。それとおなじことをことばがするとき、それを詩というんだよ。”
まさにこれが私にとっての詩なのだと思う。
繰り返し奏でられる音楽から生まれる突然変異の変奏と、花が開くように表れる世界の不可思議さ。そうしたものを詩を通じて歌っていきたい。
ゆあみ『コアラ絵日記』
いただきものの嬉野茶をのんびりと飲みながら読んだ。
何度も声をあげて笑ってしまって、そしてふと泣きたくなるような絵日記で、あるあるを描きつつ、丁寧で穏やかな日々を送るコアラに癒された。
クマちゃんや、犬のおばけ、カラスといった友達たちも素晴らしく、特にクマちゃんのお母さんの夢は泣きたくなった。
よつばと! が好きな主人にもぜひ読んでほしい一冊。
困難な状況が続く中で、このコアラの存在にどれほど心をなぐさめられたかわからない。
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heisoku『ご飯は私を裏切らない』
しにたみのおさしみになっていたので読んだ。主人公に共感することしきりだったし、私もいくらが一番好きな食べ物なので、ついつい話に引き込まれてしまった。ネガティブながらも、底の底でなんとか日々を送る主人公にはチャーミングな魅力を感じた。
日々食べることを通じて生きることを考えるというテーマは普遍的ながらも、丹念に描かれていてとても良かった。
中卒29歳、職歴はアルバイトのみという主人公が日々働いてズボラご飯を食べている様子を見ていると、決してハッピーではないのだけれど、底の底を這いながらも生きる微かな喜びの原石のようなものが見えてくる。
ネガティブだけれど、ネガティブに全振りするわけではなく、生きる喜びを食を通じて得ることで、かろうじて命をつなぐ。そうした日々は、持病でアルバイトすらまともに務まらない私にとって、切実なものとして映る。
毎日同じものを食べても苦にならないタイプなのも主人公に似ていて、イクラが一番好きな食べ物なのも一緒だ。
主人に「『私をモデルにしたんですか?』って作者の人に送って」と冗談を云われたけれど、ネガティブの底の底で生きていると、朝昼に自炊する、なんでもないような、ただの卵かけご飯や雑炊、お茶漬けにツナ缶をただ加えたもの、三袋100円のうどん玉を使った味噌煮込みうどん、ツナマヨご飯でなんとか生きている自分に気づく。
漫画は実家で禁止されていたこともあり、読むといまだに罪悪感に駆られてしまうのであまり量をこなせないのだけれど、それでもこの一冊の漫画は上半期の中でも一際印象深かった。