ここのところ九州北部で線状降水帯が発生しているというニュースを見聞きしたり、友人が九州の実家に帰るというツイートをしているのを見たり、高校時代の同級生のことを懐かしく思い出したりしていて、もはや私は故郷から離れて生きていくことはできないのではないかという思いに駆られてしまった。
私の愛郷心はおそらく並みの人には理解できないレベルで強くて、そこから脱して根無草のように生きていくことはどうしても不可能なのかもしれない。
それほど私のアイデンティティは故郷と強く結びついていて、そこを分かつことは何人たりとも不可能なのだと思う。
安倍元首相が亡くなったことと、実家との絶縁問題がちょうど重なり、身を引き裂かれるようなアイデンティティ・クライシスに直面し、メンタルがグランド・ゼロ状態になってしまって、この一週間強は生きた心地もしなかった。
私の脆弱な精神は、そのクライシスに耐えられるほど頑強ではなかったし、よりどころとして信仰を求めれば求めるほど、ふるさとのことを思わずにはいられず、実母と築いてきた良き思い出が何度もフラッシュバックして、あまりにもつらい思いをした。
そうしてもはや故郷に二度と帰れないかもしれないという恐怖と不安感に耐えかねて、実父に連絡を取ってしまった。
疎遠にする、距離を置くと決めたのに、決心はたやすく揺らいでしまう。
内容は大雨の安否確認と、NHK学園の夏の誌上短歌大会に入選したという旨と、実家から届いたふるさとの食べ物のお礼だった。
それだけで留めておこうと思ったのに、父は「母にもお礼を云いなさい」と云うので、母にも写真付きのお礼のLINEを送った。
暑中見舞いを書こうと思って主人に見咎められて書くに書けずにいたのだけれど、やはり書こうと思い至った。
折しもちょうど山種美術館で注文していた夏のポストカードが届いたのだった。
そうして細い糸でも、間違った愛情でもいいから、つながりを持っていないと、私はいよいよダメになってしまう。
ひぐらしのなく頃にに登場する竜宮レナがオヤシロさまから離れて生きていくことはできないと云う場面が出てくるけれど、私にとって故郷は雛見沢であり、母とはオヤシロさまに他ならなかったのかもしれない。
恐ろしく、私を脅かす存在でありながら、離れては生きていけない。呪わしいと思いながらもその縁を完全に断ち切れない。それは私の弱さなのかもしれないけれど、完全に絶とうとして統合失調症を発症した過去をもう繰り返したくはないのだ。
主人にはこの復縁のことはまだ話せずにいるが、いずれ話さざるを得ないだろうと思う。
土着の故郷の信仰に根づいた私の神道への信仰も、保守思想も、私は自らの手で捨てることはできないし、他者に捨てるように迫られても、どうしてもうべなうことはできない。
そうして私は生きていくしかないのだろうと思う。たとえ同じことを何度繰り返したとしても。