ANIRON

ひとりごと日記

2022.07.23 毒親問題に関して本の力を借りること

あれから再び主人と話をして、私が誤っていた部分を主人とふたりでなんとか修正するのに一日を費やした。

私は混乱状態に陥って、持病により被害妄想に囚われてしまって、主人に親とのことで離婚を迫られていると感じてしまっていたのだけれど、ことの経緯を一から考えてみると、もともとは絶縁のきっかけは母の言動と私の適応障害の発症と、かねてからの持病である統合失調症の悪化にあり、はじまりとしては私自身の決意によるものだし、主人を守りたいと思った気持ちもこれまでもこれからも揺らがない。

ただ悲観的かつ、一方的に被害妄想的になってしまった余りに、主人に多大な迷惑をかけてしまったことを詫びた。

主人との信頼関係を損なう真似をしてしまったと感じているし、本当に申し訳なく思っている。

ひとまず親とはしばらく連絡を絶つということで話がまとまって、それは親サイドにも伝えたのだった。

どっちつかずの状況がつらくて、きっぱりと絶縁をした方がいいと思う反面、まだ気持ちの整理がつかないこともあり、絶縁まで至れるかどうかは現時点では保留にしておきたい。

親サイドとしてはこれまでの関係と変わらないという認識らしいのだけれど、さすがにこのようなことを何度も繰り返すわけにはいかないので、とにかく今は連絡を絶っておきたい。

そうして消耗しきって、夜に『セルフケアの道具箱』を読み返していると、「ヤバすぎるストレッサーからは全力で逃げる」「危険人物からは遠ざかる」ことが指南されていた。

 

まずは、今あなたにふりかかっているストレッサーがヤバすぎる場合は、「気づいて書き出す」などということをのんきにやっている場合ではありません。「逃げろ〜!」の一言に尽きます。そういうわけで、「このストレッサーはヤバすぎる!」と気づいたら、全力で逃げるとか、第2章のワークを使って誰かに助けを求める、とかいうことを必ず行ってください。

ヤバすぎるストレッサーとは、たとえば「誰かに暴力をふるわれている」「誰かが誰かに暴力をふるっているのを目撃している」「ストーカーにつきまとわれている」「誰かにお金をだまし取られた」「犯罪被害に遭っている」「ハラスメントの被害を受けている」と云ったことです。逃げて、助けを求めて、とにかく自分を守りましょう。

 

人はあなたをサポートし、助けてくれる存在でもありますが、一方で、あなたに危害を与える危険人物もいるわけで、私たちは注意深く、ときには警戒して、つき合う人、相談する相手や機関を選ぶ必要があります。そして自分にとって危険だと判断した人からは、距離を置いたり、遠ざかったりして、自分を守る必要があります。

こうして読んでみると、「私がもっと努力していれば、親と良好な関係を築けたのではないか」とか、「私の努力が足りない余りに親を怒らせてしまったのではないか」という自責の念や、「親を責めるべきではなく、子として親を大切にしなければならない」という固定観念から少し離れて、「幼少期以来、そして特に最近だと主人の職場経由でのコロナ感染以来、親に強いプレッシャーをかけられて消耗してきた」という事実のみが残り、「自分を守るためにも親から離れるべき」という思いに至ることができた。

これは主治医と話しても、また相談窓口に相談してもそうだったのだけれど、「とにかく親から離れなさい」と云われても、自分の中ではまだ納得できていなかったのだと思う。

ただ文章として、あるいは自分に全く関わりのない臨床心理士が書いたものとして読むことで、幾らか客観的な判断ができるようになったので、この場に引用しておきたい。

毒親との問題はまだ決着がついたわけではないけれど、とにかく今はストレッサーから離れるのが正解だという判断は、自衛隊メンタル教官の下園壮太『心を守るストレスケア』にも書かれている。

刺激(らしきもの)の前から「立ち去る」

明らかにストレスだと感じる刺激がある場合は、まずはそれから距離を取ってみてください。そうでない場合は、とりあえず自分の生活の大きな部分を占めている活動から距離を取ってみます。

仕事をしているなら仕事から、人付き合いが多いなら人から遠ざかってみましょう。

(…)

ちなみに、「しがみつき」の意識が強い場合は、ここで「自分ががまんすれば、そのうち環境が変わるかもしれない」などと都合よく考え、刺激から逃げない選択をしてしまうことがあります。しかし、自分以外の物事が都合よく変わることなど、可能性はゼロに等しいものです。まずはあなた自身が、刺激から立ち去るようにしましょう。

本の力を借りて、毒親を責めることが難しい状況であっても、まずはストレッサーとなっている毒親から離れることを最優先にするべきだということを改めて認識したのだった。

持病により、客観的な判断が難しい場合でも、本が説く情報は客観的だと認識できるし、今はそれに委ねる形ではあるけれど、力を借りられるものは借りて、主人との生活を守っていきたい。