ANIRON

ひとりごと日記

2022.08.06 友人が少ない子なし専業主婦の友人との距離感について

私は友達が少ない。

ただでさえ学生時代から少なかったのが、結婚をしてしばらく経って、独身の友人たちと距離感が生まれてしまい、さらに少なくなった。

主人は男友達たちと毎週読書会をしたり、時には地元の男友達たちとマリオカートでオンライン対戦をしたり、オンライン飲み会をしたり、もっぱら楽しそうにしている。

男の人はいつまでも友情が変わらなくていいなと思うけれど、ないものねだりをしてもしょうがない。

13年もメンヘラをやっていると、同性の友人と共依存関係になって、その後破綻して疎遠になることを繰り返したり、スピリチュアルに傾倒する年上のご婦人と友人になって、神道を奉じる私とはどうしても宗旨違いでスピリチュアルに嫌気が差して疎遠になったり、とにかく女同士の付き合いというのは一筋縄ではいかない。

同性である女性とまともに友人として付き合えた試しがないのではないかと思うほど、私はすぐに共依存にのめり込んでしまう。主治医からはLGBT認定をされたし、私自身も過去の経験からバイセクシャルであることは自覚していて、主人にもそれはすでに打ち明けている。

ポケモンSVの内気な同級生に惹かれるけれど、男の子だと思っていたら女の子だった。ショックだな〜」と私が云うと、「バイなんだから女の子でも愛してあげて」と主人にフランクに云われる程度には、私たちの中ではきちんと整理がついている。

歌会でご一緒したまさやまさんをはじめ、異性同性問わず、今細々と付き合いのある友人たちとは、このまま細々とした付き合いでいいなと考えていて、できるだけ深入りを避けたいと思っている。

そうすると否応もなく孤独感が襲ってくる。

結婚をしているのだからそれで満たされているのではないかと思われるかもしれないけれど、私は子なし専業主婦で社会との関わりをほとんど持たない人間だ。

実親とも疎遠状態になっていることはこれまで書いてきた通りだし、主人以外の人と定期的に連絡をするのは病院の主治医ぐらいなもので、あとはたまに友人たちとぽつぽつとLINEでやりとりをする程度で、社会的なつながりがほとんどない。

このような人間は世間様と関わるべきではないという自責的な思いもあるし、一方で社会的なつながりがなければ参ってしまうという思いもある。

はてなブログの購読リストはそうした点では社会的なつながりを担保するのに一定の役割を果たしていて、深入りはしないけれども、そっと登録しているブログを訪ねている。云わばエア自助グループだと思っていて、そういうつながり方が自分にとっては心地いい。

またここのところデスクのPCの横に式波・アスカ・ラングレーのフィギュアを飾っていて、折に触れて眺めたり、写真を撮ったりしている。

光の加減や加工の加減で全く違う表情になるのが魅力的だ。

私はあくまでもこの卓上のアスカに限ってのことではあるけれど、彼女のことを病友だと思っているし、落ち込んで眠れない日も、彼女がそばにいることが心の拠りどころになっている。

それはあまり健康的でないことかもしれないし、人によっては不可解に感じることかもしれないけれど、そういうつながり方の方が私にとっては心地いいのかもしれない。

適応障害というストレスにめっぽう弱い持病を抱えていることもあり、いたずらに人を傷つけたくないし、自分自身もあまり傷つけられたくないという臆病な人間にとって、人とつながることはメリットよりもデメリットの方があまりにも大きい。

友達を増やしたいという思いもある一方で、今は人付き合いを極力休んで自分自身の心を回復させたいという思いもあるので、今は現状維持のままでいようと考えている。

最後にこのスタンスでいいと思えるに至った本を紹介しておく。

諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』は古い本だけれども、その内容の説くところは普遍的で、孤独を埋めるために友人を作るのではなく、孤独をより深めることで自分自身を受容し、満たされることができると説いている。

また南直哉『禅僧が教える心がラクになる生き方』には、「友人を無闇に増やすのはかえってストレスを招くことになる。友人がいなくてもいい」という趣旨のことを断言している一冊で、最近読んだこの手の本の中では論旨明快で、強くおすすめしたい本だ。