ANIRON

ひとりごと日記

2022.08.13 NHK学園秋の誌上短歌大会落選と、作歌について

朝からNHK学園 秋の誌上短歌大会の冊子が届いた。

おそらく落選だろうなとは思っていたので、その通りの結果になり、もう少し真摯に短歌と向き合わなければならないという想いを噛み締めた。

ウクライナ詠を投稿したのだけれど、そろそろまた自分自身の作風に戻ってもいいのかもしれない。

選評にもウクライナ詠についてのコメントがあったので引用する。

短歌のよいところは身近なことから世界的なニュースまで何でも歌えることです。現在も歌えますし、過去を今に引きつけることもできます。ただ、大切なのは歌が「説明」にならないことです。「説明」になるとは、読者が何も考えずに「ああ、そうですか」という歌です。読者にしっかり考えさせる「説明」出ない歌を目指したいものです。

伊藤一彦

 

現状はコロナ禍に加えて、ウクライナ侵攻の悲惨な状況、そうして油不足の物価高です。

それらの状況が、スローガンやステレオタイプの歌になっていません。むしろ、日々の生活や身めぐりの動植物が多くうたわれていました。そのなかに、陰が揺らめくように、社会の不安がうたいこまれています。私は、日常に託されたうたい方を好ましく思いました。

佐伯裕子

 

題詠、自由詠、いずれもロシアによるウクライナ侵攻をテーマにした歌が目立ちました。時事的なテーマを詠む際は、自分の身に引きつけた表現を探ることが大事です。それは、日常的な風景や身の回りの事柄を詠むときも同じだと思います。

松村由利子

 

ウクライナ詠に関しては、松村先生のおっしゃる通りだと考えているし、実際にウクライナ詠についての記事を書いた際にもその通りに記した。

aniron.hatenablog.com

今回のウクライナ詠について、無論反戦の意を唱えることは必要で、それに対して異論はないけれど、かといって朝日歌壇のようにテレビの報道映像をそのまま切り取って歌にしたものも、今回のように、想像力のみを用いて自らの憤りとともに発露させようとしたものも、私は理解しがたい。

私にできることは、あくまでも「私」という人間から離れずに、「私」という人間の延長線上に戦争が今現在起こっていて、そこで多くの無辜の人々が死に至らしめられているという現実を「私」の視点から詠むことであって、「私」を超越して誰かを裁く気にはなれないし、「私」以上の悲しみを歌うことは、やはりできないのではないかと思う。

その「私」の限界を十全に理解すべきだと私は考えているし、その「私」を超えたところで語る時には、やはり十分に被害者の痛みに向き合うべきで、そこに安易で無責任な想像を用いるべきではないと思う。

ただ、出詠した5月の時点ではまだこのような考えに及んでおらず、平和を祈念して、動物に託すという詠み方をして提出した。

この時点で「私」からは隔たっていたことは確かだし、その動物が自分自身にとって意味のあるモティーフだったとしても、やはり短歌でそこまで読み取ってもらうのは難しい。

実は今回提出した作は、初め詠んでなかなか得心がいかず、随分と推敲に推敲を重ねた。

普段はあまり時間をかけない言葉選びに時間をかけてしまったという感触があり、その時点でやはり投稿するのは難しかったのだろうと思う。

もっとも推敲の一つもせずに歌を詠むなどけしからんと云われてしまえばその通りなのだけれど、私は詩もほぼ直さずにココア共和国に投稿して9度入選しているし、短歌もこれまでほとんど直さずにNHK全国短歌大会入選、NHK学園夏の誌上短歌大会入選という結果を残している。

要するに言葉のインスピレーションというものを詩歌においては重んじなければならないのだと思うし、推敲することが宜しくないと云うわけではないのだけれど、個人的な範囲で云えば、不必要なまでに推敲に時間をかけた作品は必ず何かしらの欠陥を持ちうるということだ。言葉をいじくり回せばいじくり回すほど、インスピレーションからは遠ざかってしまう。

そして言葉というものが音、あるいは音楽であり、短歌や詩は音楽の調べである以上、降って出てきた音を損なうと、よほど注意深くいじらないといけない。

もっとも小説に関して云えば全く推敲を経ない作品など読むに値しない代物になるだろうし、言葉とインスピレーションがダイレクトに結びつく詩歌というジャンルにおいて、ようやく機能しうることであって、それも私個人という特殊な場合に限定されるのかもしれないとは思う。

とにかくそうした経緯があったので、今回は落ちても仕方がないのだと思う。

実作についても、ここのところ200首も300首も作っていた去年とは異なり、もっぱら詩に傾倒して、なかなか短歌を作れずにいた。

それは心から反省すべきことだし、日々量をこなさなければ短歌というものはモノにならない。

これを機にもう少ししっかりと心構えを持って、虚心に短歌を作り続けていきたいと思う。

それからこの冊子に掲載されていた特選に選ばれた育児短歌が素晴らしかったので、かねてからの歌会仲間であり、ただいま育児の真っ最中にあるまさやまさんにLINEを送ってシェアしたところ、喜んでいただけた。

折しもちょうど次の短歌読書会のテキストである、横山未来子『金の雨』も届いた。

まさやまさんと、共通の知り合いである主人とを交えて読書会を催そうと話している。

かつて水原紫苑『如何なる花束にも無き花を』をテキストに読書会をした時には盛会となり、充実した読書会となった。

aniron.hatenablog.com

これを励みにさらに日々作歌に邁進していきたい。

 

追記

現状はコロナ禍に加えて、ウクライナ侵攻の悲惨な状況、そうして油不足の物価高です。

それらの状況が、スローガンやステレオタイプの歌になっていません。むしろ、日々の生活や身めぐりの動植物が多くうたわれていました。そのなかに、陰が揺らめくように、社会の不安がうたいこまれています。私は、日常に託されたうたい方を好ましく思いました。

佐伯裕子

という箇所と、私が提出した短歌の話をすると、主人から「入選にかすってたんじゃない?」と云われた。

プロ作家志望の主人は、もっぱら私の創作についてはかなり厳しい目を持って接しているとはいえ、身内の贔屓目かもしれないけれど、それでもそうして厳しい目を持つ主人に評価してもらえたことは素直にうれしい。

結果は結果だし、結果がすべてだとは思うけれども、それでもこれを糧にさらに頑張っていきたい。