ANIRON

ひとりごと日記

2022.08.21 少女終末旅行と「作家の死」について

折本散文詩集「凍蝶の弔い」宣伝

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note.com

中里介山大菩薩峠』の主人公・机竜之介にフィーチャーしたオマージュ散文詩作品集。
和風ホラーや耽美な作風がお好きな方におすすめしたい作品集です。

もう幾百人の血を吸った懐刀も錆び果てて、我が身も朽ちると思えば侘しさよりも虚ろさが募るばかりで、枯野の向こうに迫る夕日に我が身を焦がしてしまいたかった。──「凍蝶の弔い」

-収録作品-
初秋、修羅は往く。
修羅桜
妖魚譚
凍蝶の弔い

新たに折本散文詩集「凍蝶の弔い」をお買い上げいただきまして、ありがとうございました。

またおかげさまでブーストもいただき感謝申し上げます。

引き続きBOOTHではDL形式の折本を、noteではテキストデータのみの配信をしておりますので、お手に取りやすい方をご利用いただければ幸いです。

中里介山大菩薩峠』の主人公・机竜之介のオマージュ作品と銘打っていますが、作品を全くご存知ない方でもお楽しみいただける内容になっておりますので、ご安心ください。

テキストフォントや文字色にもこだわった一作なので、できれば出力して折本としてお楽しみいただければうれしいのですが、プリンター環境がない場合でも、PC上でお楽しみいただけますので、適宜ご利用いただければと思います。

 

2022.08.21

昨日、主人と外食をして、『少女終末旅行』について話した。

aniron.hatenablog.com

人工知能の書く詩は「ほろびのうた」だった。

呪詛としての詩、あるいは嘆きの歌としての詩を私もまた書いてきたから、強いシンパシーを抱かずにはいられなかったのだけれど、彼女の書く詩の行き着く先が「死」であったことは、今の私にとってあまりに重い意味を持っていた。

死をもって到達できる詩もおそらくあるのだろう。例えば三島由紀夫などはその例だろうし、そこまでヒロイックにならずとも、文章や詩を書く人間の最期は、多かれ少なかれ、おそらくその死をもってしか完結できないものなのだろうと思う。

とはいえ萩原慎一郎のように、惜しくも志半ばで絶たれてしまった命もあるし、彼の死は私にはあまりにも理不尽に感じられてならないけれど。

ただ、この漫画からは離れたところで語ることになるけれど、個人的には死をもって完結することを是としたくはないし、ともすればそちらの方へと転んでしまいかねない人間だからこそ、なんとか踏みとどまらなければならないとも思う。

別にこの『少女終末旅行』が死や滅亡を賞賛しているとは思わない。ただ、死や滅びゆくものを美的に描く、あるいは諦念をもって描くことの意味は、今まさにコロナ禍が席巻し、ウクライナ情勢が緊迫している世の中にあっては、その重みを失ってしまう。

誰もが失意と諦念の只中にある今、この漫画に触れることは、自助グループに加わるような安堵感を感じさせるし、私自身もそういう気持ちでこの漫画を読んでいるけれど、かといってそこに安住してばかりもいられないのだろうと感じる。

根本的に私はジブリ的な考え方をする人間なので、やはり生命の尊厳を信じたいし、命あるものは美しいと思いたい。たとえ心身が病んでいたとしても、清く明き心を保っていられるようにしたいと願っている。

このような文章を書いたことを話したのだけれど、東大の大学院で文学を学んでいた主人に、「作家の死については、テクスト論ではなく、作家論の文脈で読むということになるし、作家の死はそれ自体が意味を持たざるを得ず、作品を読む上でも避けては通れない事象なので、それ自体は善悪の話ではない」と云われた。

私は文学を専門的に学んでいたわけではないので、なるほど、確かにそうなのかもしれないと思った。

三島の作品を語る上で、三島の自決を語ることは不可避だし、あるいは萩原慎一郎の作品も、彼の死なくしてはこれほど世に広まることもなかったのだろう。

未見だが、歌集『滑走路』は映画化に至るまでになっている。

あるいは途中で放り出してしまっているけれど、二階堂奥歯『八本脚の蝶』も、彼女の自死無くしては書籍化されなかっただろうと思う。

作家や歌人、詩人というものは、その死すらも作品の一部として読者に提供されることになるのだと思うと、なんだか身震いがする思いだ。

だからといって安易に死ねばいいという話ではないし、あくまでも受容する側の話であって、作家なり詩人なり歌人なりは、その死に至るまで、言葉の限りを尽くして懸命に生きようとしたことを、私は重く受け止めたいと思う。

その後主人は彼が熱心に観ている頭文字Dの話をしてくれたのだけれど、私の調子が優れないあまりに、きちんと最後まで話を聴くことができなかった。

ただ主人が「同じ家に住んでいて、一方は少女終末旅行を読み、一方は頭文字Dを観ているということは面白いし、良いことだと思う。読む人間は多い方がいい」と云われて、私ももっとしっかり読まねばならないなと思ったのだった。

以前、化粧品を買うように本を買いたいという旨のことをブログに書いた。

aniron.hatenablog.com

美しさとはなんだろうと思う。

(…)

私にとってその一つの答えは知性だということだ。

私はサピオセクシャルなので、知的な人間を愛するし、自分自身も知的な魅力を常に持っておきたいと願っている。

ここのところ読書意欲が減退していて、なかなか本を読めない状態が続いているけれど、そのような中でも気力を振り絞って本を読んだり、ニュースを読んだりして、主人と夕食の席で密度の濃い話ができると、それだけで心が満たされる。

いわば私にとって知性を磨くことは美容を磨くことに他ならないのだ。

主人とはふざけて「なんで積んでるの? なんで積んでるの? 読みたいから積んでるの」「読ーんで読んで読んで読ーんで」などとふざけたコールで遊ぶことがあるのだけれど、遊んでいる場合ではない。

ここのところ少女終末旅行を読んでいるのは、癒されたいからということもあるけれど、やはりそれ以上に読んで考えたいからという理由があって、読んで物事を考える精度を上げていきたいし、主人との会話を通じて、その価値をより高めていきたいと思う。