もともとこの季節は調子を崩しやすいこともあり、また主人のPET-CT検査など、さまざまなことが重なって気落ちすることが多い日々を送っている。
この日は朝方まで眠れず、昼ごろ起きて、しばらく記事を書いたあと、リフレッシュのためにルーフバルコニーに出て、植物を眺めて葉水をしたり、主人が飼っているメダカ(通称・みゆきちゃんたち)を眺めたり、空を見上げた。
みゆきちゃんたちは少しずつ大きくなっているようだ。
子どもがいない私たち夫婦にとっては、この小さな命の一つひとつが子どものようで、愛おしさが込み上げてくる。
空もすっかり秋の色で、いわし雲が出ているのを見つけて、短歌を詠みたいと思った。
そういう短歌を詠みたいと思う情景にしばらく逢っていなかったなと気づき、己の心のカメラが曇っていたことに今更のように気づく。
今、動画を見聞きして興味を持った、養老孟司と宮崎駿の対談本『虫眼とアニ眼』を読んでいるのだけれど、そこでも都市に対する強烈な違和感が掘り下げて書かれている。
養老
そうやってハタと気付くのは、自然環境というのは、ものすごいディテールで成り立っていて、いまの人間は、それを完全に無視して生きているということです。
(…)
ぼくは本来的に「感性」というのは、このことかと思ったんです。つまり、そういうディテールを感知する能力は、本来人間も持っていたはずなんです。昆虫だって知っているんですから。けれどもその能力を閉鎖して、環境を一律にとらえようとしている。そうやっていくうちに人間の感性はあまってしまったのではないかと。今度はそれを人間関係や都市の人工物に割り当ててるんじゃないだろうか。
ディテールに触れるということは、一つはラベルを貼るための言葉が必要なのだろうと思うのだけれど、おそらく養老先生が説きたいのは言葉以前の知覚の話であって、そう考えてみた時に思い至るのは幼少期、限界集落のような故郷で過ごした思い出や、山を切り拓いて作られた集合住宅地で自然と交わりながら過ごした記憶なのだけれど、その時身近にあった自然や山というものから切り離されてしまったことが、私の病理と分かち難く結びついているように思えてならない。
現に私は統合失調症を発症した当初に上京した時に真っ先に感じたのが「ここには山がない」ということで、関東は平野なのでごく当たり前のことなのだけれど、それが思った以上の衝撃を伴って私に迫ってきたのだった。聳え立つのはビル群ばかりで、一分の自然すらそこにはない。
この感覚は色んな人と話してもついぞ理解してもらえなかったのだけれど、地方出身者であれば幾らか共感できるところかもしれない。
あるいは同じ病を患っていた、高村光太郎の妻・智恵子の言葉を思い出さずにはいられない。
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山 の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
またそもそも統合失調症を発症したのも、出身地の都市部に移り住んでからのことだったし、そこでは自然に触れることができず、随分とつらい思いをした。
今だってあの幼少期の頃のように自然に慣れ親しんでいるとは云い難いけれど、それでも今住んでいる地域には雑木林があり、一歩外に出ると虫の声が盛んに聞こえてくる。
あるいは食べるものについても同様で、土の香りのするような野菜を食べていると、それだけで生きるエネルギーが湧いてくる。
そうした自然の中にある体感というものをこれまで私は軽んじてきた気がするけれど、心身の調子を崩してこうして郊外に住むようになって、ようやく理解できた気がしたのだった。