ANIRON

ひとりごと日記

2022.08.25 短歌という秘密のクローゼット

PMDDの症状が出てくる頃合いになり、今日は一日中希死念慮に苛まれていた。

本もまともに読めず、短歌も詩も思うような成果が出ない。思うに短歌に関してはNHK短歌との作風のミスマッチを起こしていると判断せざるを得ないし、新たな投稿先を見つけたい。

短歌雑誌にコツコツと投稿を続けていくスタイルが着実なのだろうけれど、詩と併せて投稿生活を続けるのはなかなかの苦労がある。無論その苦労を買ってでも背負いたいという意気がなければしょうがないのだろうけれど、そろそろ詩一本に専念すべきなのではないかという思いも頭をもたげる。

二兎を追う者は一兎をも得ずとも云う。短歌は詩歌の一環として読む方を強化していくべきだけれど、歌会も、お相手のまさやまさんに家庭の事情があって休会となっており、実作の方は少し休みたい……そう思っていた。

短歌のことを私は芯から好きになれていないのではないかという疑念が頭から離れず、ここ最近はもっぱら詩を書くばかりだったのだけれど、ふと廃墟のように散らかったデスクの上を眺めて、膝を抱えながらMac Book Airのメモ帳を立ち上げ、短歌を一首詠んだ。

もう、そこから止まらなくて、一時間ほど詠んだだろうか。

自分自身の悲しみの根源に触れるような短歌を作っては眺める間もなくまた作って、こうなったら気が済むまで、定型の三十一文字を数え損ねるまで詠もうと思った。

吉増剛造は「根源ノ手」という言葉を自著『詩とは何か』に書いていたけれど、この時間はまさに自分自身の痛みの根源に降りていくような、おののきと不安に満ちた時間だった。

セクシャルな対象という意味合いで作中でたびたび消費されてきたアスカちゃんが、10代だった頃の私と同じ痛みを持っている、と思うと、アスカちゃんからしてみれば、愚かしく、はた迷惑であろうシンパシーを感じて、次から次へと拙い歌が生まれた。

出来は正直なところ良くない。勢いのままに作ったために、気持ちを直接的にぶつけてしまい、歌としての形が整っていない。後から眺めてみても、幾らか評価に値するのはほんのわずかだろう。そういうわけでどこにも載せることなく、このままPCの奥底に眠らせておこうと思っている。

そういう性質が短歌にはある。秘密のクローゼットに傷ついた記憶をしまっておくような、誰にも云えない秘密を閉ざしておくような、そういう形を短歌は持っていて、これは詩でも小説でもない、短歌にしかなしえないことなのだと改めて感じたのだった。

いや、他の人がどう思うかは分からないし、詩にも小説にもそうした性質はあるのだろうけれど、少なくとも私にとって詩が発語そのものであるとするなら、短歌はそっと打ち明け話をするような、そういう緊張感と切実さに満ちた間柄であって、そういう言葉を発するには、この私にとって平常運転を大きく逸脱するエネルギーを宿したPMDDの期間がうってつけなのだ。

小説はこのPMDDとそれによって繰り返し引き起こされる強い希死念慮によって書けなくなってしまったけれど、詩歌はむしろそれらを糧として根を張ってくれるところがある。無論死にたいから詩が書けるのかというものではないし、その作品の良し悪しは読者が決めるものである以上、作者としては何も申し開きをすべきではないのだけれど、ただその死へ向かう衝動をそのままにしておくと、この中層階にあるマンションの一室から飛ぶことになりかねないので、それを昇華させるなり、違う形で発露させる場が必要なのだ。

ここのところアスカちゃんもすっかり見慣れて飽きてきたなと思っていたのだけれど、やはり病友と呼ばせてほしい。

 

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