ANIRON

ひとりごと日記

2022.08.30-31 体調不良の近況と短歌鑑賞

ここのところ低気圧にPMDDの症状が加わり、さらに夏の疲れもあって、なかなか日記を書けずにいた。

この間、8/30に虫歯ではないかと疑って歯医者に行って、虫歯ではなく知覚過敏だということがわかってステインを除去してもらったり、期限が切れる8/31までに旧居の最寄りの薬局に行かないと、自立支援が適応されず、15000円余りの薬価を負担することになるというプレッシャーが頭から離れずに参ってしまったりと、なかなかのメンヘラムーブぶりを発揮していたのだった。

8/31、ようやく薬局へ行って薬を受け取ったものの、今度はジェネリック医薬品を先方の勘違いで処方されてしまい、薬局の方針かと思って黙って受け取ったところ、後々電話があって、新薬と交換して欲しいという旨を伝えられて、自宅まで交換に来てもらうことになったりと、自立支援の更新以降はなかなか気忙しい日々を過ごしていた。

薬局は新居の最寄りのところに変更したけれど、その引き継ぎ的なやりとりもまだできてないし、引き続き病院や薬局とも連絡を取らないといけない。

新たな薬局は何度かお世話になっていて、内装も洗練されていて、徒歩圏内にあり、指定薬局になっていたことから登録したのだけれど、心療内科が近くにあるわけではないので、薬の内容をあらかじめ問い合わせておいた方がいいかもしれない。

そういう事務的なやりとりや、○月○日までに外出の用事を済ませなければならないというのが、もともと大して働いたこともない身には不慣れで、すぐに音を上げてしまう。社会に出ておられる方々は日々こういうことをこなしているのだと思うと、我が身の不甲斐なさもいよいよ極まって感じられる。

ここのところひとりで外出する機会も多いけれども、まだ引越してきた土地に慣れない。

もともと車が走るそばを歩くのが苦手で、大きな道路が走っていることから、その道路の手前側の区域で用事を極力済ませたいと思うことが多々あり、薬を飲んでいるために自転車の運転が難しいことから、徒歩で移動せねばならず、徒歩10〜15分圏内に行かないと用事を済ませられないということがなかなかつらい。

今は30代で体力がないと云っても、年齢的にはまだまだある方だからいいけれど、これがやがて40代50代と年齢を重ねたときにはなかなかの負担になるのだろうと思う。

そうして消耗して、なかなか創作もできていないし、読書も進んでいないのだけれど、追いかけている歌人である松野志保が、角川短歌9月号に新作5首を掲載しているという旨の情報を見かけて、同誌を買った。

さらに読書会テキストの横山未来子『金の雨』も読み進めている。

歌誌のいいところはもっぱら気ままにページを繰って眺められるところで、こうして消耗している今の私にはありがたい。今年はずいぶんと歌誌を読んできたなと思うけれども、歌誌を読むことは何よりも作歌のモチベーションにつながっているなと感じる。

野志保の

憎まれていたいひとりと愛したいひとりをともに濡らして白雨

はこういう関係性のBLに惹かれてきた身としては、その本質に触れるものであったし、

貴種流離してその果ての縁側で音高らかに啜る夏蕎麦

貴種流離譚という藤原月彦を彷彿とさせるゴシックなモティーフを下の句で軽みに変えているテクニックが光って感じられる。

夜来香(イェライシャン)ただよう闇で手にふれたそれが扉と気づけなかった

の夜来香(イェライシャン)はあの風雅な歌謡曲の響きも相まってエキゾチックな香りが漂うし、「それが扉と気づけなかった」という「扉」は、BLにおける恋がはじまる扉なのか、それともまだ未知なる世界への扉なのか、想像力を掻き立てられる。

全体として高雅な歌風は変わらないままで、それでいて過剰装飾ではない抜け感を感じさせるのが良い。

横山未来子の短歌は

肉体よりおのづと出づる短き声ピアノの音の奥に聴きあつ

 

さびしさを歩む間も我が胸にありてひねもす雲を映すみづうみ

といった、肉体と物質とのあわいが溶け合うような、繊細な歌ぶりに惹かれながらも、

月の貌を見上げをりもう帰らむと心に言ひてかへらぬ夜を

 

綿雲の縁にひかりの含まるる午後よすべてをわすれ果つる日よ

というありし日の時間、今という時を超えた時空を歌い上げるダイナミックな歌ぶりにも驚かされる。

こうしてティーカップに紅茶を淹れて、お茶菓子を用意して、気ままに短歌を楽しむのが今は一番贅沢なひとときなのかもしれない。

思えば学生時代はそうして和歌や漢詩に触れる日々を送っていたけれど、ここ最近はすっかり遠ざかっていた。

そのような時間は意識して、場を整えて作るものだと思うから、自分自身の意識を高めておきたい。