ANIRON

ひとりごと日記

2022.09.20 私の保守主義のあり方

三連休を終えた。

この間、ブログは主婦ブログのみを更新し、創作からはほとんど離れていて、読書といえばもっぱら娯楽小説を読むばかりだった。

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少しの間詩歌から離れて距離を取りたいという思いがあった。

先日新刊書店へ行って、自分の物事を捉える視野の狭さをいたく恥じて、このまま詩歌ばかり読んで作っていても、自ずと行き詰まるだろうなと感じた。

小説から離れて随分経つし、フィクションに触れることそのものを心のどこかで忌避していた。

主人からは「雨伽はZ世代の気持ちがわかるんだね」と云われたけれど、感情を無闇矢鱈に揺さぶられるのは疲れるし、起伏のあるとんでもなく面白いストーリーに触れる気力がなくて、主人に誘われて一緒に観ているHUNTER×HUNTERも途中で止まってしまっている。

さすがに1.5倍速でアニメを観たりはしないけれど、それでも自分から離れたところにあるフィクションの中に入っていく気力はない。

ただ、実家との深い断絶や、主人との関係性の中で、どうしてもフィクションの力を借りなければ、にっちもさっちもいかなくなるなと感じていたのは確かで、そうして茅田砂胡暁の天使たち』を読みはじめたのだった。

一巻は懐かしの幻の表紙だった。初読時は中学生だったので、この表紙のものを持っていたのだけれど、その後手放してしまって、手元になかったので、こうして当時の表紙の『暁の天使たち』を手元に迎えられるのは、『デルフィニア戦記』『スカーレット・ウィザード』を小学生時代に読み耽った身としてはとても嬉しかった。

これらのシリーズはまだ手元に大切にとってある。

感想について、まだ深くは掘り下げられないけれど、ただシェラのあり方はやはり私にとって一つの道筋になると思っている。毒親であるファロット一族を根絶やしにして、主人であるリィとともに、リィの元の世界に帰ることを決めたシェラの姿は、私にとっては実家を半ば捨てて主人と生きることを選んだ自分自身に重なるところがあると感じたのだった。

ただシェラのあり方は侍女、それから従者という経歴はあれど、従順一辺倒ではない。リィ以外の人間に対しては皮肉っぽいところや、毒気のあるところがあって、そこも少々シンパシーを感じる。

この連休中はシェラを心の鑑として過ごす時間が長かったけれども、そうして主人の趣味に対して共感的に応答性を高めていくことは、私のような人間にはどうしても必要なことなのだろうと思う。

そうして家が平和に保たれていれば、自ずとお互い居心地のいい環境で過ごせるし、親との関係で傷ついた私の心の回復にもつながる。

私にとっては自分自身の思想は確固として持ちながらも、主人の趣味やリベラルな思想に対して一定の理解を示し、あるいは共感的に応答することは、家庭生活を営む上でもっとも大切なことだと考えていて、私自身の保守主義はさまざまな形で反映されるけれども、家庭という場に根づいて、家庭という場において最も発揮されているのだと思う。

それではおおよそ無知性だ、時代遅れだ、という誹りを受けるかもしれないが、理論だけで構築された思想は脆い。土地や、夫婦で云えば男女という生理学的な関係性の上に根づいた思想はその点何があっても揺るがないのだと思っている。

今の時代がもたらしている、発達障害によってもたらされるカサンドラ症候群の問題やモラハラといった夫婦関係の危うさや、家庭環境のバランスの乱れは、その先進的で地に足のつかない思想と決して不可分ではないのだろうと私は考えている。

そうした例は岡田尊司カサンドラ症候群』に書かれていることでもあるけれど、家庭を安全基地として機能させるための秩序を自分の中に位置づける作業はどうしても必要なのだろうと感じている。

リベラルについてこれ以上この場で様々なことを語るのは避けるけれど、理論と実践とがやはり一致して初めて思想として成立するという考え方は、おそらくどちらの立場を取るにせよ大切なことだと思う。

私自身は政治思想について、この場であまり言葉を尽くして語ることは良いことなのかどうか、測りかねて控えていたのだけれど、どうしても書かざるを得なかった。

さまざまな家庭の形があることと思うし、私自身の家庭のあり方について、これが完全に正しいとは書かないけれど、あくまでも我が家の場合はこれでいいのだと思っている。