ANIRON

ひとりごと日記

2022.10.02 短歌を考える

お知らせ

新たに図書館エッセイ集『図書館という希望』を複数名様にお読みいただきまして、ありがとうございます。

ニコカド祭りのついでにお読みいただけるとうれしいです。

kindle unlimited会員様は追加料金なしでお楽しみいただけます。

ブログ「広寒宮」で綴ってきた図書館にまつわるエッセイに書き下ろしを加えた、図書館エッセイ集です。
「もうひとつの家」としての図書館との付き合い方や、うつ病当事者としての図書館との関わり、一利用者から見たコロナ禍の図書館の記録、幼少期に通った図書館との思い出など、今だから読みたい内容をぎゅっとまとめました。
本書が図書館を愛するすべての人の友となりうることを心から願っています。

-収録作品-
図書館という希望
ふたつの棚
図書館という友人
ふたたび図書館へ一
図書館の使い方を模索する
コロナ禍の図書館について
蔵書の整理
ふたたび図書館へ二
先達の目とBANANA FISHにみる図書館の精神
図書館という知の海に漕ぎ出す
図書館で知を拓く
学校の図書室の思い出
非常事態宣言下の図書館
本書に登場した書物

また折本詩集『ねむれるものにはすみれの花を』も引き続き頒布中です。

star-bellflower.booth.pm

群れ咲くすみれ色の花々だけをおまえのねむれる瞳に贈る──。

人を狩る吸血鬼×眠りつづける吸血鬼の全年齢向け創作BL連作散文詩集。 耽美主義に再び回帰することを志向し、その思想をベースとした、嘉村詩穂名義の第一詩集『挽歌-elegy-』、第二詩集『真珠姫の恋』につづく詩のあり方を志した、連作散文詩4編を収めた詩集です。

-収録作品-
エリザベト・バートリの裔として
ねむれるものにはすみれの花を
人形師の恋に寄せて
やがてめざめる、春の世にて

併せてよろしくお願いいたします。

 

2022.10.02

『歌壇』10月号の佐藤弓生・松野志保両名の短歌を読んだ。

歌壇2022年10月号

歌壇2022年10月号

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まなうらに大麦小麦ゆれる夜おやすみこどもおやすみおとな

蝉が声しぼる七月そちこちに村の御堂のようなるうつろ

──佐藤弓生「ハッシャバイ」

 

ピンヒール群なし青い玻璃の床踏み砕きつつ踊る夜会へ

──松野志保「玻璃を踏む」

佐藤弓生は時事詠、松野志保はフェミニズム短歌と、時勢を意識した歌が並んでいた。

幻視者としての両者の短歌を好む私としては少々物足りなかったのだけれど、佐藤弓生も、そして松野志保も、この今の時勢に対して異を唱えずにはいられなかったのだろう。

ウクライナ詠については以前も記事に書いたのだけれど、佐藤弓生の短歌には祈りと非難という明確な意識を感じた。

野志保の短歌は月光72号につづき、こちらもフェミニズム短歌の流れを汲むものだ。

女には着けぬ玉座のあることはさておきとっておきの祁門(キームン)を

──松野志保「忘却の作法」

aniron.hatenablog.com

挑発的な調子でフェミニズム短歌を詠むという姿勢が強く滲む。個人的にはこうしたイデオロギーと、それをもてはやす風潮に違和感を感じるのだけれど、現在の歌壇ではそれを良しとするらしい。

この辺りの違和感があることも、ここのところ短歌を作れずにいる理由なのだけれど、かといって短歌の潮流に逆行するために短歌を作るのをやめるというのも愚かしい。

例えば塚本邦雄新古今和歌集の再評価という大業を成したし、それは和歌にとって、あるいは短歌にとって大きな挑戦でもあった。

そうした試みを志すというわけではないし、それを担うだけの力は私には全くないのだけれど、ただ歌壇の風潮に沿わないからという理由で作歌をやめてしまっても、それはなんら創造的な行為ではない。

私は私なりの方向性を志向して短歌を詠みたいと思うし、たとえその方向が歌壇の良しとするところでなかったとしても、私は私の歌を詠みたい。

そのためにはもっと短歌に触れて勉強を重ねていかねばならないし、自分の短歌をより高めていかねばならない。主義主張だけ通そうとしても無駄なことであって、短歌が短歌として自立し、成立していなければ始まらない。

ただ、歌会始に代表されるように、天皇制というものと、和歌が不可分なものとして形成されてきた以上、そこに抗うことには、やはり大きな矛盾を有するし、その矛盾と対峙しつづけるだけの覚悟がなければならないという思いは依然としてある。

水原紫苑は『山中智恵子歌集』座談会において、舌鋒鋭く、天皇制を無批判に肯定するならば、短歌はいらないと評していた。水原紫苑は歌集『如何なる花束にも無き花を』において、上記の矛盾と真正面から相対し、それを掘り下げて見事な歌集を成した。

その成果は偉大なものだと感じるけれど、一方で文語表現を用いることで矛盾が生じつづけることはどうしても免れ得ない。

先日図書館に行ったところ、本棚に並んでいたのは『皇后美智子さま全御歌』だった。

まさかこれを全国の図書館から一掃するというわけにもいくまい。

そして鄙びた小さな図書館に設けられた、わずかな歌集のスペースに並んでいることから鑑みても、明らかに人口に膾炙しているのはこの歌集の方であって、現在の歌壇のありようは、ごく限られた歌人という輪の中でしか交わし得ない言葉を伴っているのではないかとも思う。

この矛盾をどう解消していくのかは、短歌に残された難問ではあるけれど、あいにくと私はこれに加担しようとは思わない。