ANIRON

ひとりごと日記

2022.10.10 創作について語り合う

はじめに

snowrabbit21.hatenablog.jp

初めて猫を飼ったということもあり、なかなか慣れない世話の日々が続いていて、ブログをゆっくりと書ける時間が取れず、随分と間が空いてしまった。

ここには猫のことはあまり書かないようにしようと考えているので、気になる方は上記ブログをご覧ください。

そういうわけで、ものを考えるにもまとまった時間が取れず、創作もできない日々だったのだけれど、主人と昨夜短歌と小説について話したので、それをメモ程度に残しておく。

普段とは異なる簡易的な内容になるかと思うがご容赦願いたい。

 

小説について

母との問題を自分の中で解消しない限り、小説を書くことは難しいだろうと云われた。

私は小説の中で幾度となく母殺しの物語を書いてきたけれど、プロットのロジックとしてそれを成し得たわけではないので、どうしても小説として成り立たないという指摘があった。

プロットというものについて、主人は一貫してプロットも、小説も、ロジックだと云うのだけれど、私はまだそこまで突き放して小説を捉えられずにいて、その葛藤によって小説を書けなくなってしまった人間なので、まだしばらくは小説と向き合えそうにない。

どうしても小説を書く没入感や憑依感を重んじる人間なので、ロジカルに突き詰めて小説を捉えることが難しいのだ。

そうした書き手として、大学時代の恩師からは多和田葉子を勧められたけれど、未だに読めていないので何とも云えない。

憑依というものを突き詰めていけば山尾悠子のような小説を書くこともできるのかもしれないが、現状において私にそれだけの才能があるとは断じて思えないし、小説を書くにあたっておおよそ他の全てのものを犠牲にしなければ、なかなかそうした形で小説と向き合えないタイプなので、家庭人を目指す限り、この点についてはかなり難しい。

家族を捨てて、ひとりきりで安普請の賃貸住まいになって、日がな一日そうした小説を書きたいという思いはさすがに抱けない。何より生きていかねば話にならないのだから。

また主人とは病者と小説についての話になり、芥川にしろ、村田沙耶香にしろ、病というものを突き詰めていけば、小説というジャンルではそこそこ強いと云われたけれど、療養詩歌を作ることに疲弊している人間に、そうして病を直視した長編小説が書けるとは到底思えない。

とにかくこの憑依と病という二つの問題によって、私は小説を捨てざるを得ない状況にある。

 

短歌について

主人に「今の雨伽には短歌の方が向いてそうだよね」と云われた。

短歌に関してはここのところずっとモチベーションが下がっている。それは歌壇の今の思想的な風潮が肌に合わないという点と、同様の理由で時事詠ばかりが並ぶ歌誌にいい加減うんざりしているからなのだけれど、主人に「時事詠が嫌いと雨伽は云うけれど、その時事詠にも優劣はあるんですか?」と尋ねられた。

当然のように優劣はあって、まず短歌として自立していなければならない。

水原紫苑の『短歌研究』9月号に寄せていた国葬反対短歌は、その主義主張に同意はしないとはいえ、彼女自身の思想と、歌の形とが見事に一体となっていて、短歌として一つの形を成していた。

書店で立ち読みして確認した程度なので、今手元になく、短歌を引用できないのが残念なのだけれども、それでも文語体で貴賓として皇嗣さまがおいでになった国葬へのアンチテーゼを歌う覚悟は、『如何なる花束にも無き花を』を一読してもわかることで、その背景は語らずとも、歌が雄弁に伝えてくれた。

また佐藤弓生は『歌壇』10月号でウクライナ詠を寄せていて、そこには祈りが込められていた。彼女らしい、慈愛に満ちた歌の数々は、佐藤弓生にしか詠めない形で成立していた。

まなうらに大麦小麦ゆれる夜おやすみこどもおやすみおとな──佐藤弓生「ハッシャバイ」

歌壇2022年10月号

歌壇2022年10月号

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そのような「私」というものと時事とを強く結びつける動機がなければ、時事詠は時にスローガンと化してしまう。

その危険性を指摘したのが差し詰めNHK学園秋の誌上短歌大会の講評ではなかったかと思う。

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短歌のよいところは身近なことから世界的なニュースまで何でも歌えることです。現在も歌えますし、過去を今に引きつけることもできます。ただ、大切なのは歌が「説明」にならないことです。「説明」になるとは、読者が何も考えずに「ああ、そうですか」という歌です。読者にしっかり考えさせる「説明」できない歌を目指したいものです。

伊藤一彦

 

題詠、自由詠、いずれもロシアによるウクライナ侵攻をテーマにした歌が目立ちました。時事的なテーマを詠む際は、自分の身に引きつけた表現を探ることが大事です。それは、日常的な風景や身の回りの事柄を詠むときも同じだと思います。

松村由利子

また、主人と話していて、ここのところ私は読む方も詠む方も量をこなせておらず、詩歌に関しては量をこなさなければ話にならないということを話した。

「量をこなせばそれだけ上達するというのはやる気も出るよね」と主人に励まされて、有意義な一夜となった。