ANIRON

ひとりごと日記

2022.10.11 文章を書くことと自立すること

主人が筋ジストロフィーの患者と、そのボランティアを描いたノンフィクションである『こんな夜更けにバナナかよ』がとても良かったと語っていた。

私は未読なのだけれど、この本の中で自分の意思でやりたいことをやることが自立なのだという箇所が出てくるという。

しかしそれが叶わない状況にある私にとって、その言葉はあまりに残酷だと感じたのだった。

私にとって、自分のやりたいことをやるということは、ただ創作だけがそれを実現する場出会って、それは何も詩歌に限らず、ブログであってもなんら変わらない。

私にとってブログは社会参加だと主人も認めてくれているし、たとえ主人が認めなくても私はこうして何かしらの文章を書き続けるのだろうと思う。

実際にそのようにして、私は母の嫌悪感によって家に本を置けないため、ほとんど本を買えずに、もっぱら図書館で本を借りて読んでいた独身時代も文章を書いてきたし、統合失調症に、適応障害心因性てんかん発作と、病が篤くなる一方の今なお文章を書き続けている。

私はどこかでそんな自分を否定しようとしてきたし、獣のように飢えて、批評という形を一応目指してはいるものの、何かしら他者を否定せずにはいられない自分に忌避感を抱いてきた。

このブログに載せている書評の幾らかをKDPにしようかと考えてはいるものの、それもよくよく選ばなければ、むやみやたらに人を傷つけかねないという自覚はあってしかるべきだし、文章を書く人間としてわきまえておかねばならないことだと思う。

そのような前提に立った上で、なおも文章を書くことを自負する資格があるのかと問われると、正直なところ自信がない。ただ、どのような病状に置かれたとしても、文章を書かざるを得ないのだとしたら、それは私に課された使命なのかもしれないと思う。

そのような大仰なものではなくても、文章を書くことについて、日々考えない日はないし、そうした思考の軌跡は、非公開ブログに延々と綴ってきた。

それもまた何らかの形で公開することもあるかもしれないが、いずれにせよ人を傷つけるような形にならぬよう、細心の注意を払わねばならないと思う。

文章を書くことで仕事として報酬を得させていただいたということは、その点で大きな転換点となったと云える。

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ブログを週10時間書き続けなければ果たせなかったことだと思うと、これからも真摯にブログと向き合いたいと思うし、書くべきものは書き、そうでないものは秘匿して、そうしたわきまえをしっかり身につけていきたい。