ANIRON

ひとりごと日記

2022.10.18 愛猫を抱えて詩を書く

ここのところ愛猫の子猫・冴ゆのお世話もあって、なかなか思うように詩を書けずにいた。

詩は真の孤独の友だと思っているし、孤独にならないと書けない。愛猫を膝に抱えたまま、病み疲れたような詩を描き続けることの生産性のなさに頭を抱えたし、それは人としてあるまじきことではないかという思いもあった。

そうしてここ最近は愛猫短歌を詠むことが増えてきたのだけれど、私の心の中のけだものは、冴ゆよりももっと剣呑な顔つきをしていて、私に孤独が足りない、詩を書かせろと喚き立ててくる。

そういう化け物のようなけだものは、結局のところ猫を飼ったところで慰撫されることはないのだろう。せめて冴ゆには愛情をかけたいと思うし、私自身の時間も精神も肉体も切り売りして、何時間でも膝に乗せてあげていたいと思う反面、それでも詩を書かずにはいられないとけだものが叫ぶ。

その声に急き立てられるようにして詩を書いた。ここのところTK from 凛として時雨を聴きながら詩を書くことが多かったけれども、私の中の飢えたけだものはもはや音楽を必要としなかった。声に急かされるままに文字に起こしていった。

できあがった詩は、どの程度評価されるものかはわからない。ただ、私にとっては真に私が求める詩の形になったのではないかと思うし、この作品をココア共和国に投稿したい。

詩を書けない焦りから、その焦りや苛立ちを人や冴ゆにぶつけることはないまでも、昨夜はなかなか寝つけないままで3時まで自室で起きていた。

その間、どうせ眠れないならばとさまざまな作業をしていたのだけれど、そうして営業活動の仕込みをしている間、どうしても詩を書きたいのに書けないフラストレーションは増すばかりで、先日友人がLINEを通じて語っていた言葉をいやでも思い出した。

とあるアーティストを評して曰く、「精神的に逼迫していたからこそ出てきたのでしょうし、今は良くも悪くも彼自身に余裕があるので、当時と同じ環境で似た作品を制作させたとしても、期待するものは出てこないのだろう」と語っていた。

それは私自身にも厳しく突き刺さる言葉でもあって、今の私には飢餓感が足りないのだろうと思う。冴ゆを見ていると、餌鳴きをする時には“Never give up!”と云わんばかりの調子だ。

これほど切実に餌を求めるのは本能によるものだろうけれど、捨て猫として過ごした生後間もない頃の環境が彼女をして餌を求めさせるのだろうと思う。

冴ゆを見ていると、とにかく愛情に飢え、食事に飢えて、それを満たしてあげなければどうしようもないという有様なので、今もこの文章を書きながら冴ゆを膝に乗せて寝かしつけ、この状態で一時間が経過している。

無償の愛情を求める冴ゆは、その名に似合わずずっとずっと甘えん坊だ。

その冴ゆよりも激しい野生を帯びたけだものを心に宿している私は、きっと天国には行けないだろうと思う。

Billy Eilishの「all the good girls go to hell」というタイトルを借りて時代ファンタジー小説を書いて久しいけれど、彼女のような激しい精神は今なお私に息づいて、けだものとなって私を詩に駆り立てる。