ANIRON

ひとりごと日記

2022.10.19 ココア共和国に詩を投稿しました&詩について語る

ココア共和国に詩を投稿した。

ここ二度ほどは落ちていて、その原因はある程度把握できているつもりだけれど、11月号はどうなるかは現時点ではわからない。

ただ、ココア共和国の期待する詩と、私が詩の本質だと思っているところはやはり重なっているので、今後ともココア共和国に投稿していきたいと思う。

詩とは何か、その答えを出すことは難しいけれど、昨日は主人と飲みながら詩や芸術について話した。

話の発端は、先日から読んでいた宇野重規保守主義とは何か』だった。

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人に心地よさを感じさせる美とは対照的に、崇高はむしろショックや緊張感を与える。とはいえ、そのようなショックや緊張感は、人間の生を助長し、再生の機会をもたらすとバークは論じた。このような「崇高」の観念は、バークの著作に刺激を受けたカントによって再び取り上げられ、『判断力批判』の重要なテーマの一つになっている。

──宇野重規保守主義とは何か』中央公論新社、2016年、p27

実際『崇高と美の観念の起源』でバークは、社交がもたらす「快」や「美」と、孤独がもたらす「苦」や「崇高」とを対比した上で、あえて「美」ではなく「崇高」に積極的意味を見出しているのである。

──宇野重規保守主義とは何か』中央公論新社、2016年、p28

この箇所に関して議論になり、芸術というものは常に緊張や違和感をもたらすものを志向するという主人の友人の言葉を引き合いに出した上で、主人は「俺にはそういう芸術はやはりわからんと思ってしまうのだよな。美術にしても小説にしても」と語っていた。

私はそれに同意できる側面と、同意できない側面の両方があって、芸術は常に前衛を志すということは、短歌を詠んだり、詩を書いていると、自ずとそういう方向へと向かってしまうし、自分自身もまたそうした作風を良しとするところがあるので、「かっこよくなきゃ詩歌じゃない」と思ってしまう。

先日現代詩手帖10月号を読んで、高橋睦郎の詩はかっこいいなと感じたし、本来自分自身が良しとする詩も、先鋭的なものだと感じたのだった。

ただ同じ現代詩手帖では、近代詩と現代詩の間には断絶があるという見方を否定する言葉が書かれていて、これについても近代詩をさらに読んだり再読したりしながら、自分自身でも確認していく作業をしたいと強く感じた。

現代詩手帖では萩原朔太郎の詩が現代詩へとつながっていることが指摘されていたけれど、彼の詩ももっときちんと読まねばならない。

調べてみると詩論も出ているようなので、こちらも買って読みたい。

現代詩手帖を読むと、まだまだ勉強する必要性を強く感じるし、宮沢賢治の言葉を借りれば「しっかりやりましょう しっかりやりましょう」ということに尽きるけれど、今後ともしっかりと励んでいきたい。

そうして話す私たちを、愛猫・冴ゆはキャットタワーの上から見下ろしていたのだった。