ANIRON

ひとりごと日記

2022.10.25 短編を書きはじめたこと

さっそく夜中に少女小説の短編のプロットの素案を作って、翌日に整え、この日から書きはじめた。

詩は書きたい時に書きたい分だけ書いたら、あとは書きっぱなしでいいけれど、小説となるとそうはいかない。どうしても日を跨いで書き継いでいく必要がある。ごく当然のことではあるけれど、この日は1200字ほど書いてエネルギーが切れてしまい、その後なんとか家事を片づけた。

家事との両立を考えると、なかなか持病のある身で小説を書くことは、やはり容易ではない。

ブログであれば1日5000字でも6000字でも書けるのに、小説となると使う神経が全く異なっていて、なかなか量をこなせない。

ただ、主人が小説はロジックであり、娯楽だということを常々語っているのが、今回ようやく腑に落ちた気がする。小説を書くことはやはり何よりも根気を必要とするので、今の私には短編を仕上げるのがやっとだろうと思うけれど、それでも書いている間は、これまで散々苦しい思いをして小説を書いてきた身からすると、翼を得たように楽しい。

冴ゆは少しずつ独り立ちをしはじめていて、ベッドで眠ることができるようになってきた。

膝の上で眠ることもあるけれど、その時間は随分と少なくなってきている。

それが寂しいという思いもあれば、成長してきている証と捉えて、良かったと思う一面もある。冴ゆを膝の上に乗せて、短歌を詠み、詩を書いている時間は幸せなものだったし、私にとってかけがえのない時間だったのだと今にしてみれば思うのだ。

今は育猫ノイローゼ気味で消耗してしまっているけれど、それでも甘えてくる冴ゆの姿はやはり愛おしい。

そうして冴ゆがだんだん手を離れつつある今、こうして小説とふたたび向き合いはじめられるようになったことは、私にとっては得難いことだと感じる。

もちろん冴ゆのお世話もしっかりしながら、自分の創作にも時間をかけていきたいし、家事との両立を図れるようにしたい。

まだ小説を再開して間もないので、時には中断することもあるかもしれないし、やはり小説の道を諦めざるを得ないタイミングも来るかもしれない。病気は予断を許さない病状に至ってきているので、ふたたび悪化して、挫折を味わうかもしれない。

そうした不安を抱えながらも、今はふたたび立ち上がって歩きはじめたことを、ひとまず評価したいと思う。

適応障害からの回復は時間を要するもので、私の場合は商業誌への掲載が決まったことがきっかけで、それまでわだかまりを抱えていた問題が少し解決に向かうのではないかという希望を抱けたのだった。

それまで書いてきた小説とは全く風合いの異なる少女小説を書けるのか、まだ現時点では確信が抱けずにいるけれど、それでもようやく書きたいものと巡り会えたことを今は嬉しく思う。

先のことは見通せないし、世の中の状況も、この先悪くなる一方なのだろう。自分自身の持病も良くなる気配はない。ただそのような中でも、なんとか希望を抱いていたい。

絶望に打ちひしがれて詩歌を作りつづけたこの一年間は決して無駄ではなかったし、これからも詩歌を作っていきたいと考えているけれど、そこに小説という要素を加えることに対して、精神的な負荷がかかりすぎないようになったことは喜びとしたい。