ANIRON

ひとりごと日記

2022.11.07 『海獣の子供』を読む

ここのところ不調が続き、なかなか創作も進まずにいる。

まずは体調を整えなければはじまらないので、今どうにかなるものでもないのだけれど、それでもやはりどうしても焦ってしまう。

ここのところその焦りは読書にも向けられていて、思うように本を読めないことに苛立ちを感じてしまう。

精神的にも肉体的にも拒食気味になっていて、セルフチェックをしたところ、摂食障害の疑いありとのことだった。

153cm44kg、BMI18台後半に留まっているので、まださほど心配しすぎる必要はないのだが、白米を食べるのがつらくここ最近はもっぱらうどんやおかゆばかり食べている。

そうした状況なので、なかなか読書に身が入らない。もっと読まねばという焦りばかりが募り、中身のある読書を全くできていないという自責感がひたすら募る。

そうした日々の中で、主人と交わす本に関する会話だけが日々の糧となっていて、本を買ってはいるのだけれどすぐに積んでしまう。

買っては届く本の山にも責め立てられている気がして、ここのところ気が重い。

そのような状況で、読むのが苦手な漫画を少しずつ読んだり、雑誌を読んだりしてなんとか読むという行為をつないでいる。

先に劇場版を観た『海獣の子供』は二巻目まできた。

アングラードの「僕は本当は海に生まれるハズだったのが、間違って陸に生まれてしまったんじゃないのか……」というセリフには共感を覚えるとともに、この一連のシーンが劇場版では削除されていたことに違和感を感じた。

私もまた海育ちの人間で、記憶もないほど幼い頃に祖母に連れられてよく海へ遊びに行っていたらしい。

そして忘れられない記憶がある。幼少期、従姉妹たちと川を下って海へ行き、そこで満潮となった海で危うく溺れそうになったことがある。

幸いにも大人たちが救助に来てくれて助かったのだけれど、あの時感じた自然というものの巨大さと恐ろしさは、私の心に深く刻まれることになった。

その後その海は開発がなされて海水浴場ができ、私はそのことに対して強い怒りを覚えたのを今でも覚えている。ふるさとの豊かな海が侵されることに我慢ならない憤りを感じたのだった。

そうした背景があるので、主人に琉花について「雨伽みたいだね」と云われたことにもさほど違和感はない。海というものと分かちがたく育った私は、その後海から隔たったところに住むことになり、海と離れ離れになってしまい、それが統合失調症発症の遠因となっている気がしてならない。

だから私はこれほどまで何度も自作の詩の中で海を歌いつづけるのだろうと思う。

劇場版の「海獣の子供」を観て、「詩を書きたい」と強く思った衝動は未だに熱く心の中にとどまっている。

詩を書きたいという思いと、海を見たい、海に触れたいという思いの間にはさほど隔たりがないのかもしれない。