ANIRON

ひとりごと日記

2022.11.16 近況と間近に迫る短歌読書会と

冴ゆの体調がまだまだ気がかりな状況にあることや、自分自身の心身の不調、世相の不安定さを肌で感じていて、いっぱいいっぱいになっている。

ひとまず自分自身の不調であるものもらいのような症状を診てもらうべく、重い腰を上げて身支度をして最寄りの眼科まで行ったものの、HPを確認していなかったため、午後休診の札がかけられているのを目の前にしてやむなく帰路についた。

道中、南天の実と山茶花が美しかった。

帰宅してコンビニで買ったサンドイッチと、ルピシアダージリン2ndフラッシュで擬似英国ティータイムを過ごしたのだけれど、それでも気が晴れない。

ここのところ婦人科へかかったり、眼科へ行こうとしたり、フィジカルの不調もいくつも重なっているし、メンタルの方も著しく悪い。特に夜中になると途端に調子を崩してしまう。

元々持病である適応障害は対人関係をきっかけとして発症していて、その悪化を防ぐためにも、対人関係のストレスを極力抑える必要がある。

そういうわけでTwitterで表立って活動するのが難しく、アカウントをふたたび消すことにした。最近はもっぱらGoogle Keepに壁打ちしているが、こちらの方が何かと都合がいいのだ。

情報の一本化という点でも、ニュースソースを減らすことで雑多な情報の泥土に身を沈めなくてもいいという点でも理にかなっているし、もっと早くに移行していればよかったと思う。

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また新たなGoogle Keepの使い道が見つかれば、適宜紹介することにしたい。

そしてここのところはもっぱら子規の『仰臥漫録』を読んでいる。

本を思うように読めないもどかしさを感じながらも、病める日々に寄り添ってくれる本のありがたさを噛み締めている。

以前、子規は私よりもごはんを食べているということを書いたけれど、病人にとって食べることは唯一の楽しみなのかもしれないと思い至る。

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子規は妹の律に対してわがまま放題とも取れるような苦言を呈しているのだけれど、その箇所は子規の人間味が感じられるし、また俳誌に掲載された俳句については舌鋒鋭く批判する箇所もあり、やはり句会というものは恐ろしい場所だなという印象を深める。

そうした子規の俳句に対する思いの切実さを読んでいると、我が身を振り返って情けなくもなる。

私は何者かになりたいと思う気持ちが強すぎるあまり、詩歌の本質を見定められていないのではないかと自問せずにはいられない。短歌については、上を見上げれば見上げるほど自分の至らなさが目について、作るのがつらくなってしまったのだけれど、週末には短歌読書会を控えている。

テキストは大森静佳『カミーユ』で、一読したものの、まだあまり冷静にその歌の姿を捉えられないので、さらに読み込んでいく必要がある。

技巧を凝らした歌に対して、どこか忌避感を感じてしまうのは、自分自身の技巧が至らないためでもあるのだろうが、言葉のコラージュや、「私」を通過していない歌の虚しさについてどうしても考えてしまう。

無論この歌集には「私」が前面に出て歌われるものもあるのだけれど、その「私」の感情は肥大化・空想化してしまって、実態がどこまで伴うものなのか測りかねてしまう。

「私」の「思い」を歌うのが短歌だと私は思っているので、やはりそこにあまりに大きな飛躍があることに戸惑ってしまうのかもしれない。

調子が悪いこともあり、どうしても解釈が偏ってしまうのではないかという懸念もあり、読書会を延期した方がいいのではないかとも思ったのだが、お相手のまさやまさんは育児中で、なかなかお時間が取れない中、こうしてスケージュールを合わせてくださっているのでそれも申し訳ない。

できるだけ丹念に読み込んで読書会に臨みたいと思う。