ANIRON

ひとりごと日記

2022.11.17 #2 果たして私は本を『読めている』のか? という自問とその答えを模索する

ここのところ読書意欲がめっきり落ちていたこともあり、「私はまるで本を『読めていない』んじゃないか、量もこなせないし、内容の解釈も妥当とは云いがたく、単に難癖をつけたり、掘り下げようとして明後日な方向を向いているんじゃないか」と思う日々がつづき、それは当然創作にも影響を及ぼして、なかなか作詩ができていなかった。

ただ、一つ前に書いた記事や、それより前に書いた記事を読み返してみると、やはりそこそこ妥当な線は突いているのではないかと思うし、「読めていない」というのは自信を失ったことがきっかけで、そういう気持ちに引っ張られすぎていたのかもしれないと思う。

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江戸漢詩選 *3 (岩波文庫 黄 285-2)

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中でも、吉増剛造『詩とは何か』について、石原吉郎も交えながら読んで考えを深めてきた今年の上半期の成果は、それなりに自負していいものだと思っているし、ネット上に同様かそれ以上のレベルで同書を読みこなしている人があまり見当たらないことを考えると、比較的「読めている方」の部類に入るのかもしれない。

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これもブログを日々書き綴ってきたからそのような判断を下せたのであって、ただ単に漫然と読んでそのまま放っていたら、「やはり自分は全く『読めていない』」と落胆するか、あるいは「それでもきっと『読めている』に違いない」と慢心していただろうと思う。

ブログという蓄積物があって、そこに必死になって文章を書いてきたからこそ見えてきたものがある。それはブログは一つの財産だというネットで見かけた言葉になぞらえられるものだと感じる。

そもそも本をナラトロジーなり、文学理論に則った形で読める人はそう多くないし、私自身も東大の大学院で漢詩を専攻していた主人に習う形で、見様見真似で学んできたものなので、本質的なところでどこまで理解が及んでいるのか、テキスト論に則って、厳然とした態度でテキストに応対して読めているのかとなると、さすがにお手上げなのだけれど、史学という畑違いの分野で生きてきた人間なので、そこはご容赦願いたい。

ただ、過去の記事に目を通してみても一定の妥当性は保っているという判断に至ったことは、一つ自信として抱いてもいいのかもしれない。

読む方がしっかりなされなければ、自ずと書くものの質も決まってくるので、これからもしっかり読んでいきたいと思う。そしてその過程をブログにこうして綴ることで、自分の足跡を残し、読者の方々に幾らかでも供することができればと思う。

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