ANIRON

ひとりごと日記

2022.11.21 ココア共和国投稿と、心の支えとしてのカミーユ・クローデル

実家との絶縁状態に、冴ゆと私自身の体調不良が重なり、もう今月は投稿するのは無理かもしれないと観念していたのだけれど、ぽつぽつと詩を書いてはいたのだった。

詩にはカミーユ・クローデルのことを書いた。

ja.wikipedia.org

短歌読書会で扱ったのが大森静佳『カミーユ』だったからということもある。

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ただそれ以上にロダン破局し、唯一信頼する父が死去し、心の支えを失った彼女は統合失調症を発症して、以後誰とも言葉を交わすことなく、精神病院で死去したという半生が、家族の問題を抱えて統合失調症を発症した私にとって、とても他人とは思えなかったのだ。

私には心の友としている歴史上の女性が幾人かいるけれど、彼女もその一群に加わることになったのだった。ちなみに他には同じく統合失調症を患った高村智恵子、それから終生ほとんど故郷から出ることがなかったエミリー・ディキンソン、病を抱えて薬物中毒になりながら小説を書いたアンナ・カヴァンがいる。

彼女たちのことを思うとき、私はようやく心の支えを得たような心地になるのだ。

情けないことだとは思いながらも、そうしてよりどころを歴史上の人物たちの中に見出すのは、史学学徒には少なくないのかもしれない。

特にカミーユ・クローデルは晩年は同じく病院に入院している患者や、ロダン、そして確執を抱いていた母を憎むことで、自尊心をかろうじて保ったとwikiに記されていて、その痛々しいまでの様子がどこか自分自身に重なるものを感じるのだ。そうは云っても、もはや私に母を憎むだけの心のエネルギーは残されてはいないのだけれど。

そういう経緯があって、彼女のことを詩に書いたのだけれど、その評価が如何ということはまだわからない。もう少しきちんと掘り下げる必要があったのではないかとも思うし、自分にその技量があったかと問われると、疑問を抱かざるを得ない。

ただそうした上述のような女性たちを主題とした詩を書いてみるのは面白いかもしれないとも思う。その扉を大森静佳『カミーユ』は開いてくれたのだった。