ANIRON

ひとりごと日記

2022.11.29 詩と向き合う

生きることに倦み果てて、朝から泣いて、ひたすら紅茶ばかり飲んでいた。

 

ルピシアダージリン2ndフラッシュ

 

AHMAD TEAのダージリン

 

ルピシアのキャラメレ

 

AHMAD TEAは作業用に淹れたものだけれど、記事を一本しか書けずじまいになってしまった。

詩を書いたり、推敲したりしてはいるけれど、自分自身の詩と向き合うのはなかなかつらい心理的状況にある。

基本的には苦しみや痛み、悲しみを謳う詩が多いので、それらと対峙するのは心苦しくもあり、一度この作風から離れて、好き勝手に詩を書きたいという気持ちもないわけではない。

ただ、その詩の方向性では少なくとも投稿の場では通用しないだろうし、かといって同人に舵を振り切る余力は今の私にはない。やはり書くからには上を目指したいという気持ちが強い。

とはいえ、こうして苦しみもがきながら詩を書くことに、どれほどの意味があるのだろうとも思う。先日観た情熱大陸の木下龍也の回で、「短歌を作ることは基本的には苦しいこと」「短歌は暗いところから生まれる」と彼が語っていたのを何度も思い出してしまう。

詩を書くことは苦しい。苦しいけれど、生きるために書かざるを得ない。そうして生まれたものを詩と呼びたい。

とはいえこうしてひとりでぐるぐると考えてばかりいてもしょうがない。やはり先人の詩を読まねばならない。

苦しみから詩を書くということに関して、私の頭にあるのは、シベリア抑留を経験した石原吉郎の詩と、生涯にわたって生家からほとんど出ないまま詩を黙々と書き続けたエミリー・ディキンソンの詩なのだけれど、両者の詩にはまだそれほど深く触れられていない。

ひとまず手元に迎えてできるだけ必死になって読んでいかねばならない。両者は吉増剛造『詩とは何か』で取り上げられていた詩人たちでもあり、詩の本質に触れる上でも重要な詩人だと考える。

『詩とは何か』について触れられていて、半ば読み差しで積んでいる『現代詩手帖』2022年3月号にも目を通したい。

そして現代詩を俯瞰するという点でも『現代詩手帖』12月号は買わねばなるまいし、12月号の『ユリイカ』には岩倉文也が詩を寄稿しているとのツイートを見かけたので、こちらも買わなくてはならない。

そうと決まれば話は早いので、ひとまず気になっているこちらの二冊と合わせて迎えたい。

原稿料でバーレイのプレートを買ったり、ポール&ジョーの財布を買ったり、ヴィンテージのブローチを買ってしまったりしたけれど、本来はこうして本にお金をかけるつもりだったのだ。

少なくとも今は詩に専念しようと思うので、しっかりやっていきたい。