ANIRON

ひとりごと日記

2022.12.13 想いは揺れる

あいも変わらず低調な一日だった。

読んだ本の感想や、考えたことなどを書こうとしたのだけれど、どうしても表立って書くことができず、やむなく非公開とした。すでに二本下書き保存している。

これで日記を書くのは今日で三度目なので、その本についてはここでは触れない。

体調が鈍るとどうしてもネガティブな方に感情も考えも傾いてしまう。昨日は久々に短歌を作り、今日は一本詩を書いた。

ココア共和国に投稿できるクオリティのものではないので、投稿は見送るけれど、久しぶりに書きたいものを書けたという気がする。

短歌の方は、昨日の記事を書いて、Twitterでも若干反応をいただき、それに後押しされて詠んだ。

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こちらもまだリハビリが必要で、まだまだクオリティが満足のいく出来ではないので、ひとまず非公開としたい。

そのうち一首は短歌読書会のお相手のまさやまさんに贈らせていただいた。

温かみの伝わる素敵な歌、と評してくださってとてもうれしかった。ただ、もう少しテクニカルな部分を高めていかないと、どうにも拙い。開かれた形の短歌を詠むと決めて久しいけれど、短歌のあり方はふたたび模索するときに来ているのかもしれない。まだまだ試したいことが色々とある。

短歌を詠むとき、視点の置き方を「私」から俯瞰したところに置いてみたり、外の世界に広げてみたりと、自分の短歌の形を踏まえた上で、より高めていければと思う。

昨年の私は「病めるヒュプノスの夏」をはじめ、より演劇性を伴った作品を作ることが多かったなと思う。

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そういう方向性をふたたび志向したいという気持ちもある。その契機となったのが大森静佳の歌集『カミーユ』だったので、『ヘクタール』の二周目をしっかり読み込んで、自分なりに血肉に変えられるようにしたい。

まだまだ至らない身ではあるけれど、詩歌に関しては量をこなしていくしかないので、しっかり励みたい。

小説の方はなかなか真正面から取り組むだけの余力に乏しい。

先だって頒布をはじめた折本掌編集『雪花の契りは時を超えて』を連作短編小説に仕立てたいと当初は考えていたのだけれど、小説として成立させるには、プロットの段階からしっかり取り組まねばならない。

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どこをどのようにいじれば連作短編小説になるのか、見当はつくのだけれど、おそらくそれ相応に時間がかかることなので、少しずつ着手するのか、あるいはこれはこれで完結しているものではあるので、折本で完結とするのか、もう少し考えたい。

連作短編小説にするならば、タブッキは再読しなければならないし、皆川博子もふたたび読んでいかねばならない。

その作業は私にとって好ましいものではあるけれど、とにかく時間も労力も要することではあるので、現状の病状だとなかなか厳しい。取り組むのであれば、長期戦を覚悟しなければならないだろう。

KDPの新作を何かしら作りたいという思いはあるので、創作BLはその役割を果たすきっかけにはなるのだろうけれど、どこまで読者の方々に届けられるものになるのか、まだわからない。

いずれにせよ書いてみなければしょうがないだろうし、書く前にうだうだと愚痴を書いても始まらない。詩歌をやりつつ、小説も書くというだけの体力は今の私にはないので、やはりどちらかに絞らなければならないタイミングがやってくるのだろうと思う。

詩歌を選びたいという気持ちもある反面、小説に賭したいという気持ちもある。いずれにせよ詩歌に関しては自費出版という壁があり、先行きはあまり明るくないので、小説に戻らざるを得ないかもしれない。

まだまだ気持ちは揺れるけれど、それでもなんとか自分なりに道を模索しながらやって行くしかない。やはり詩歌から離れられそうにないという結論に達するかもしれないし、小説をやはり書きたいと思うに至るかもしれない。

主人からは器用貧乏と云われたけれど、まさに器用貧乏ほど私の創作スタイルを云い当てている言葉もないかもしれない。

それでも這ってでも前に進みたい。

 

追記

その後帰宅した主人と話し、BL小説でKDPを作るのはいいかもよと後押しをしてもらった。

体調の方はまだまだ低調ではあるけれど、詩歌と向き合うこと、自分の痛みや苦しみをなんとか昇華しようと足掻くことに少し疲れを感じているのはたしかで、世相も困難な状況だから、もっと楽しいこと、自分にとってときめきを感じることをやっていきたいという思いもやはりある。

それはこちらの記事にも書いた通りだ。

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これはあくまでも思考メモであって、明日になればまた心のギリギリのところまで踏み込んで詩を書いているのかもしれないけれど、それでも映画「阿弥陀堂だより」のおうめ婆さんの「切ねぇ話はもうたくさんだ」という趣旨の言葉を思い起こす。ここのところ何度も頭の中でリフレインしているセリフだ。

戦時中を生きて来たという設定なのであろう彼女が、絞り出すようにして口にするこの一連の話は、「小説を書くということは阿弥陀さまを彫るということ」というこの映画のテーマにつながっていくのだけれど、そうした理想美を創作で掲げることに、ふたたび回帰してもいいのかもしれない。

とにかく世知辛い話にはもううんざりしているというのが正直なところで、創作BLという血迷った道に足をふたたび踏み入れたのもそうした背景があってのことだったのだけれども、創作BLはともかくとして、NLにせよ、少女趣味なものにせよ、もう少し自分自身に享楽的になることを許してもいいのかもしれない。

とにかく世の中の状況は困難な最中にあるし、この先の人生で、とびきり楽しいことが起きるとは私自身は到底思えない。体調は悪化する一方だろうし、今日よりも明日、明日よりも明後日と不調に拍車がかかる中をこの一年なんとか生き延びてきた。

そろそろ楽しいと感じることがあったってバチは当らないだろう。苦しいことにはもううんざりしている。今月の誕生日には厄年も明けるし、来年はよりいい年にしたい。

そうした中で、ふたたびライターのお仕事をいただけることになった。まずは仕事優先になるので、しばらくの間は着手するのが難しいかもしれないが、少しずつでも構想を温め、プロットをしっかり組んでいきたい。