ANIRON

ひとりごと日記

2022.12.19 苦しい最中にあって足掻くこと

一日を通じて低調だった。18時半現在、いまだにメンタルを起動できずにいる。

仕方がないので詩を一篇書き、短歌を六首詠んだ。短歌はこれはというものが一首詠めた程度で、なかなか思うようにリハビリができない。おそらくNHK学園冬の誌上短歌大会も厳しいのではないかと思うし、ココア共和国の来月号も受からないかもしれないし、ココア共和国内の賞レースは当然厳しいだろうという思いが頭から離れず、公募に投稿しつづけるには余力がないとなかなかつらいものだなと思う。

今は何事に対しても悲観的になってしまうので、思い立って水原紫苑『快樂』を予約注文した。

ここのところなかなか歌誌・歌集を読めていなくて、勉強がまだまだ足りない。しっかりしなくてはと思う一方で、短歌を続けていくことに限界を感じてもいて、自分よりも遥かに上手い人を幾人も知っているから、私が戦える場ではないのかもしれないという思いが去来する。

泣き言を云ってばかりもいられないけれど、やはり向き不向きはあるのだろうし、今後とも細々と投稿をつづけるつもりではいるけれど、どこまでものになるかどうかわからない。

ふたたび短歌講座を受講したいという思いが頭をもたげてきているけれど、これは焦りのためだろうと思うので、もう少し短歌を作ってみて、やはり自分には難しいと思い至ったら辞めたいと思っている。そうは云っても作りつづける未来しか見えないのだけれど。

いずれにせよこうして悲観的になったり、自虐的になったりするのは、結局のところ自分を守りたいがためでしょ、というもう一人の自分が責め苛んでくるのを止めようもなく、我ながら情けないなと思う。

二年前、短歌を意欲的に作っていたときには感じていなかった苦しみと直面していて、今が一番つらいのかもしれない。

短歌は短歌でも、療養短歌という括りからいつになったら抜け出すべきなのか、それともこのままでいいのか、判断をしかねてしまって、どうにもこのままではいけないという思いばかりが先走る。

もっと上を目指したいという想いもある一方で、詩に集中して、詩を高めていくことに注力しなければ、注意散漫になってしまうのではないかという恐れもあり、とにかく答えが出ない。

苦しい最中にあって、悲観的になるのは致し方のないことなのかもしれないけれど、それでも未来に希望をつなげるためにも、なんとか這い上がって詩歌を作りつづけたい。

冴ゆは今日は一日眠っていた。

寒いからなのか、幼少期のように膝の上にいる時間が増えてきたのはやはり喜ばしい。

大切な愛猫の存在に、どれほど支えられていることかわからない。冴ゆには心から感謝している。

そしてその後、ルピシアの祁門紅茶特級と、誕生日プレゼントに義母さまにいただいた焼き菓子詰め合わせのクッキーをいただいた。

本当にお茶の時間ぐらいしか心休まる時間がないので、今日はイッタラのタイカカップにAHMAD TEAのダージリンを淹れて飲んだのだけれど、少しも気持ちが整わない。

やはり紅茶は値段相応というか、そうお高い茶葉をいくらでも買える身分でもないのだけれど、お酒を飲まない人間なので、お茶のひとときをもっと大切したいと思う。

 

追記

主人と食後のお茶休憩をした。

淹れたのは夕方と同じくルピシアの祁門紅茶特級と、いただきもののマドレーヌだった。

こたつスペースでの歓談となり、心も幾らか癒されたところで自室に戻り、ココア共和国への投稿を済ませた。

普段と比べて随分と遅くなってしまったけれど、何度も手を加えて自分なりに形にして、これならばと送り出した。

結果はわからないし、今月だって受からないかもしれないけれど、それでも主人に別件のライター仕事について、「雨伽がこれまで雨の日も風の日も体調の悪い日もブログを書いてきたことは、こうして仕事への自信につながっているよね」と褒めてくれたことで、もう少し頑張ってみようと思えたのだった。

どんなに不調でもほとんど欠かさず書いているブログと、神経をすり減らしながら作っている詩歌とでは、やはりジャンルは大きく異なるのだけれど、それでもつづけていくことには意味があると思いたい。

先日観たとあるYoutubeのドキュメンタリー動画で、物事をつづけていくことの大切さを説いていて、私はこの十二年詩を書きつづけてきて、苦しい日々も過ごしてきたけれど、それでも詩が好きだと心から思う。

弱音を随分と書いてしまったけれど、また猫背になりながらでも、なんとかつづけていけるように励みたい。