ANIRON

ひとりごと日記

2022.12.28 木下龍也『オールアラウンドユー』を読む

木下龍也『オールアラウンドユー』を読んだ。

ねむれないおまえのためにできるのは灯りをひとつひとつ消すこと

 

昔より優しくなった死にたさに「どうしたんだ?」と問いかける夜

 

生きてみることが答えになるような問いを抱えて生きていこうね

 

もうすこしねむっててくれ目覚めたらきみを泣かせることばかりある

このように並ぶ短歌のいずれもが、他者に向かって投げかけられているように感じる。それはこの短歌を詠む当時は目に見えなかった「読者」という他者でもあるのだろうし、あるいは木下龍也自身の中にいる他者なのかもしれない。

いずれにせよ、『あなたのための短歌集』で他者に向かって投げかけられたメッセージを踏襲した歌を、昇華させるような歌集だと感じた。

手紙のように短歌を詠むというスタイルは木下龍也の短歌をもって、一つの完成形として提示されているのだろう。

ただ、やはり「私」というものから逃れ得ない短歌という形式を、どこまで踏まえていけるのか。「あなた」へと「私」から差し出す、という型によって成立はしているのだけれど、やはりもっと彼自身の核心を見てみたいという気もする。

それは二人称で詩を書いている私自身にも突きつけられる問いなのかもしれない。

また同封されていた、「谷川俊太郎と木下龍也の対談抄録」にもさまざまな学ぶべきことが多かったので引用させていただく。

谷川 短歌をとにかく作り続けることはしてほしいなと思いますね。

木下 はい。

谷川 芭蕉だって、「つひに無能無芸にして此の一筋に繫る」って言ってるよね。あの芭蕉ですら、ひとつのことだけを続けてきたって言ってるわけでしょ? そんなこと、僕は若い頃は全然考えなくてね。中年過ぎてから、やっぱり自分には詩を書くしか能がないっていうふうに思うようになったのね。ひとつのことだけを中心にして生きていくのはどんな人にとっても必要なことじゃないかなと思うんですよね。今はいくらでも広がるわけじゃないですか。ネットの世界もあるし。みんな自分がなにをやりたいんだろうってわからなくなっている人が多いと思う。わからなくなった状態でもいろいろ書いたりして成り立っちゃうこともあるから。ただ雑文を書くだけじゃなくて、短歌なら短歌っていうひとつの形を中心にした方がいいと思いますね。現代詩なら現代詩をずっと書いていくっていうのもひとつの道としてはあるよなって思うよね。

これは情熱大陸の木下龍也の特集回でも語られていたことではあったけれども、私にはまだその覚悟がないのかもしれない。

ただ、どこかで覚悟を決めなければならないときは来るのだろうと思っていて、そしてそれはほとんど今に等しいのだろうとも思う。

短歌の才能はやはり私にはないし、詩は自然と書けるけれども、短歌は頭を捻って捻って、ようやくできるという有様であって、根本的に向いていないのかもしれない。

まだ小説を書きたいという思いもあるけれど、おそらく持病もあってこの先もなかなか難しいのが現状だろうし、持病の特性上、この現状を打破することができるとも思えない。

趣味の範囲では短歌を詠むのもいいだろうし、小説を書くのもいいのだろうけれど、商業ラインを目指すのは詩に絞るべきなのかもしれない。まだ迷いは尽きないけれど、それでも今年もしっかり投稿を続けていけるように励みたい。

2023年のココア共和国4月号には2022年度の賞レースの結果が掲載される。おそらく今年は厳しいだろうと見ているけれど、それでも投稿を続けたい。

 

2022.12.29 追記

それからしばらくして、短歌研究の新人賞の〆切が今年の1月末だと知り、何かしら投稿できないかとつい考えてしまって、自作の短歌を眺めていたのだけれど、やはり拙い。

そもそも私は短歌を作りたいと思ってはいないのではないかと思い至って、やはり詩に注力していくのがいいのだろうなと思った。

向き不向きはどうしてもあるし、短歌をうまく作れなくても、それで別に死ぬわけではない。

なんとか世に出たいと焦る気持ちはあるけれど、何事もじっくり積み重ねていくしか道はない。

せいぜい目の前の詩にしっかり向き合って、地道にこの道を歩んでいくしかないのだろう。