ANIRON

ひとりごと日記

2023.01.14 文章を仕事にすることについての思考メモ

ブックライティングの仕事をさらにいただくことになり、今年は忙しくなるかもしれない。

ブログを書く時間をなんとか作って、更新できるときには更新したいと思いつつ、ここにどのような内容を書けばいいか、しばらく考えても答えが出せずにいた。

そのような中で、Twitterでふと検索したワードで気になったことがあったので、文章を書くということについて、一応自分なりの考えをまとめておきたいと思う。

誰もが文章を書いて、WEB媒体で発信できるようになった今、文章を書くことで報酬を得るということは、容易いことのようにも思えるが、私は長らくブログを書き、そして昨年からブックライターの仕事を進める中で、適切な文章を適切な表現を用いて、ある程度の分量をこなして書ける人間は限られてくると感じている。

単に技巧に凝れば良いというのではないし、誰もが読めて、誰もが理解できる文章を、平易かつ正しい表現を用いて、数千字、数万字と書いていく。一見してそれはつまらない文章のように思えるかもしれないが、どこにも突っかからずに自然と読めるという文章は、まずWEBにはあまりない。

新聞社などの専門的に文章を書ける人が担当しているものはまだ良いのだけれど、NHKニュースサイトの表記は時々首を傾げたくなるものもあるし、個人のライターがWEB媒体に書いたものでも、チェック機能がうまく働いていないのか、誤字脱字があったり、表現が口語的すぎたりして、途中で読むのをやめてしまうことがどれほど多いことだろう。

なお悪いことに、文章はどうしても後に残る。紙ベースとなる本の仕事ではなおさらで、十年、二十年、さらにその先も自分の文章が形になって残ることを考えると、いきおい文章の品格というものについて考えざるを得なくなる。

例えば、手話なども加えれば、誰もが日々会話を交わし、言葉を使っているのだけれど、言葉を発することを専門的に仕事にしている人はそう多くない。

そこには発声の仕方から、用いる言葉の表現の正しさなど、厳密な意味で言葉をより適切に使うことが求められる。個性的で、ある特定のグループにしか機能しない表現や、略語的な表現、流行的な表現はまず用いられない。

声優などの仕事においてはキャラクターの特性も踏まえたテキストが用意されるので、この場合は除外するけれど、アナウンサーなどの仕事を想定していただくと分かりやすいかもしれない。

おそらくブックライターの仕事も同様であって、そうした公共性を持たざるを得ない。

それは仕事として報酬をいただく身だからということもあるけれど、それ以上に、言葉を投げかける範囲がより広く、そして誰もが理解できる言葉を用いなければ、世の中で長い間流通する本というメディアの中で、言葉が機能し得ないからということもある。

私が携わっている仕事は、さまざまな出版物の中でも、教育や福祉といった、比較的硬めのジャンルに属する仕事なので、どうしても言葉をしっかり選んで、なおかつよりわかりやすく適切な表現で書くことが求められる。

よってどうしても慎重に慎重を期さざるを得ない。文章というものはどうしても人間性が表れるし、いい加減な言葉や略語、流行している口語を多用すれば、いい加減なテキストになると私は考えているので、日頃から言葉遣いには極力気をつけている。

私の愛好する六朝詩の代表的な詩人であり、政治家である曹丕は「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」と記している。

不朽という言葉の重みを今改めて噛み締めたい。