ANIRON

ひとりごと日記

2023.01.16 それでも詩を書きたいという思いと、社会から逸脱する行為としての詩作

何はなくとも詩だけは書きたいと思う。

ブックライティングのお仕事をいただいて、今月は今までのところ、なかなか余裕がなかったけれど、なんとか数篇ほどの詩を書いていて、先ほどそのうちの一篇を日本現代詩人会に投稿した。

詩を書けないフラストレーションが溜まりすぎて、かえってそれが普段よりも手応えのある詩をもたらすに至ったことは、ひとつの成功体験として大切にしたい。

結果のほどはわからないけれど、昨年一年間という暗い夜道のような歳月を経て「それでも詩を書きたい」という動機があるのであれば、この先もずっと詩を書いていけるだろうと思う。

詩の師匠がJ-COREが好きだったこともあり、詩神の国にはJ-COREが流れているのだろうと思っているのだけれど、ここのところはそこから離れてVAVAを聴くことが増えてきた。C-HIPHOPで、闘争と社会からの逸脱という点で、彼女の音楽は詩を書くのに適している。

open.spotify.com

日中は逸脱は許されないけれど、夜になるとユーロビートを聴いたり、こうしてヒップホップを聴いたりして、意識的に社会から逸脱する時間を設けるようにしている。さもないと到底詩なんて書いていられない。

open.spotify.com

私のような社会から完全に脱落していた人間は、自ずと詩を書けるのだけれど、社会に組み込まれてしまってから、それがなかなか許されないので、夜の時間はとにかく社会の外に自分を出してしまおうと思っている。

両軸として社会に関わる時間と、そこから逸脱する時間は必要であり、どちらかに偏ってしまうとバランスを崩してしまうのだろう。そうした点ではやはり頭文字Dは良く練り上げられた作品だったのだろう。私は観ていなくて、主人から話を聞いて、サウンドトラックを聴いているだけなのだけれど。

頭文字Dの主人公をはじめとするキャラクターたちが、日中はガソリンスタンドでバイトをして、夜になると峠を駆けるのは、日中は社会の内側にいて、夜という時間の中では完全に社会の外側の境界へと足を踏み出す行為であって、それは夜に詩を書くという行為とそう変わりないのではないかと思う。

越境していくエネルギーは何にせよ必要であって、そこにはやはりある種の快楽を伴えばこそ可能なのだと思う。

詩というものは純粋言語であって、常識的な言葉を逸れていくものだから、一仕事終えたあとに詩を書くということは、ある意味他のどの文芸ジャンルよりも向いているのかもしれない。